物事簡単にはいかないものである。
膝蓋靭帯炎の改善を目標に、昨年から静岡へ通院しながら
この藤枝リバティ駅伝を一つの目標にしていた。
院長(敬称:ボス)から初となる
アンカーの5区を任せられ
プレッシャーを感じていたが、作戦はあった。
練習でも最初は調子が良いが
その後一度膝が痛み始めると
どうにもならなくなることを
分かっていたので
前半いかに走りたい気持ちを抑え
あえてセーブを掛けられるかが鍵だった。
そして後半のペースアップにかけるのだ。
作戦通り前半は余力を温存し
気持ちはキロ5分でいきたいのを必死で抑えつけ
キロ7分弱でゆっくりゆっくりとスタート。
しかし折り返し地点手前で膝に黄色信号が
灯る。いつもの痛みが出てきて、着地がしんどくなる。
気のせいだ、毎日リハビリしてきたんだから絶対いける
ここからペースアップするんだ
と気を奮わせるも叶わず。
そこからはライバルは己自身
ただ膝の痛みとの闘いだった…
結果、私一人で二人分?の3キロ27分かかり
当然の区間73位(73チーム参加中)。。
チーム順位を一気に72位までに下げてしまう
お話しにならない走りになってしまった。
ご健闘され、襷を繋いで下さったボスと政井先生と
杉本先生と若尾先生に大変申し訳ない思いで
一杯である。
…
5年前のリバティー駅伝で1区を任された時に
区間12分1秒で本当に気持ち良く走れた頃に
戻れるなら戻りたい。
しかし、そうはいかない。
稀勢の里の引退会見を思い出す。
元の体には戻れないのである。
もしかしたら私は選手ではなく裏方に回った方が
向いているのではないのだろうか
…
と初めて真剣に考えた
これまでとは違った駅伝になった。